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収容所内での教育は禁じられています。
見つかれば処刑されるにもかかわらず、絶望の中にいる子供たちに喜びと希望を与えるために絵を、詩を教えました。そして、作品には必ず名前を書かせました。それが子供たちがこの世に生きた唯一の証となるからです。
子供たちに絵を描かせたのはフリードゥル・ディッカーを初めとする何人かの教育者達。彼らもまた子供たちと同じようにアウシュビッツへ送られ帰らぬ人となったのでした。
幼児教育を学ぶ者たちにとって、教育者はどうあるべきかを教えられました。
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テレジンのこの絵を初めて日本に紹介されたのは、野村路子さんです。野村さんにお出会いし、平和の道具の活動のことや、大学祭で絵の展示会をしたいとお話すると大変喜んでくださいました。
ご自身が開催された時に用いた絵画は埼玉の平和資料館に寄贈されたそうで、貸していただけるよう働きかけた下さいました。
春に青春キップで埼玉の資料館を訪ね、本番前にはレンタルトラックで運びました。
【参 考】
絵画記録 テレジン強制収容所
(ホルプ出版社)
15000人のアンネフランク
野村路子著(径書房)
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詩「わたしはひとりで行きたい」
私はひとりで行きたい
どこか別の よい人たちの住むところへ
どこか 知らないところへ
だれも人を殺したり しないところへ
夢に見ていた その目的地に
行きつくことが できるかもしれない
おおぜい もしかしたら1000人もの人が
行きつくことが できるかもしれない
アレナ・シンコバー(生存)
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